働く環境、身を置く世界は自分でデザインする

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こんにちは、昨年の夏に勤めていた都内の料亭を退職し、現在はフリーの板前として料理を作る以外にもこうして記事を執筆したり、オンラインでの料理教室などを開催して活動をしている、ライターのぼりです。

今回はぼくがこの活動に至った経緯、そして今、改めて自分が働く環境を自分でしっかりと選ぶことの大切さを実感したことについて記事を書かせて頂きます。

 

 

 

「手段」として働き方を捉える

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ただ単純に自分の選びたい生活や将来を実現する為に、一番近い働き方をできるのであればそれがその人にとっての正解だと思っている。

フリーランス、会社員、どちらが正しいという訳ではない。

 

仕事を選ぶ上で、「自分の納得できる選択をしているかどうか」が重要であって、それは世間や周りの人間にとやかく言われる筋合いもなければ、気にする必要もない。

 

自分が望んだ働き方だと言えるのであれば、仮に周りから「社畜だ」などと笑われてもかまわないとぼくは思う。

 

仕事は人生のほとんどの時間を使うからこそ、最大の娯楽であるべきだ。

 

 

 

リスクヘッジから考え始めてたどり着いた現在

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板前修業中にずっと感じていた不安は「料理人が料理をできない体になったらどうなるんだろう」という事だった。

理由は交通事故かもしれないし、急に味覚障害になるかもしれない。

とにかく、自分が明日も来週も来月も来年も、「料理を作り続けていられる」という保証はどこにもない。ぼくはこの事実を気にせずにはいられなかった。

 

収入が一本化しているということは、仮にその仕事が嫌になったとしても、「辞める」という選択権がないという状態だ。

 

ぼくはは「料理」という仕事を「自分がしたいからしている」という精神の状態を保っていたかった。

料理をしないと生活ができないのか、料理をしていなくても生活はできるけど、それでも自分がしたくて料理という仕事を選んでいるのか。

 

ぼくにはその「選べる自由」があるかどうかはとても重要だった。

 

 

 

退職の決定打となった人事異動

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冒頭に書いた通り、ぼくは昨年、勤めていた料亭を退職した。そのきっかけとなったのが、調理場内の人事異動。

その異動は、ぼくが勤めていた4年間の中でも最大と言えるほどに大きな異動だった。

支店調理場のトップが、通常の調理スタッフの立場にまで降格されたのだ。

 

その時の社長の狙いは、この異動を機に支店トップの方が自主退社を申し出てくることを望んでの人事だったとぼくは思っている。

 

しかし結果は違った。降格になった上司はそれからも現場に立ち続けた。

 

ただ、全く以って納得のいかない様子だったので、明らかにその後の勤務の態度は変わった。

急にトップの座から平社員まで降格になったのだから、不満がないはずはない。それだけはわかる。

ぼくはこの状態を目の当たりにして、自分の今後に恐怖を抱いた。

 

不満な状態にありながらも働く上司を目の前にして、シンプルに「納得がいかないのであれば辞めればいいのに」と感じたのだ。

そこで当然のごとく、答えとして「家庭があるから」「生活あるから」「守るべきものがあるから」が出てくる。

それはもちろんのことなんだけど、つまり支店トップの方が「会社を辞めたら他の場所ではお金を稼げない」という状態のままずっと働いてきたということだ。

 

会社に勤めるということは、会社に自分の力で成果や結果を残すことであり、それで対価をいただくという「契約」を結んでいる状態だと思っている。これがぼくにとって「会社に勤める」ということの健全な形だ。

 

しかし、会社がないと生きられないということは会社に依存している状態になる。

 

そのスタンスでいくと、会社と自分との関わり合いの中で、仮に「もうここでは働きたくない」と感じたとしても、自分から「ここは自分のいる場所ではない」といって会社を辞めるという選択肢は存在しないことになる。

 

もちろん守るべきルールはあれど、まっとうな理由があれば、会社が社員を解雇することはできるし、社員も会社を辞めることができる。これはお互いに忘れてはいけない事実だと思う。

もう終身雇用を信じ続けられる時代ではない。

 

自分も、「今」ここでいきなり会社から解雇されたとき、生活ができなくなるという状態であることで、「会社にすがらなければ生きていけない」という状態だったことを自覚した。

そうしてぼくは、個人でお金を稼ぐことのできる状態を作っておかなくてはいけないと思い、会社を去った。

 

 

 

身を置く世界は自分で選ぶ

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こうした経緯で会社を辞め、そこからぼくが意識したのは、「自分のステージ」を作ること。

ぼくは歴史ある板前の世界の中で1万人に1人の存在になれているとは到底思えない。

しかし、「料理を仕事にしている人」の中で、100人に1人くらいの存在にはなれている自信はある。

 

これは在職中から続けていたブログに関しても同じだ。

 

無数にいるブロガーと呼ばれる「ブログを書く人」の中で1万人に1人の逸材になれてはいないかもしれない。

 

しかし、これにおいても100人に1人くらいのところまではたどり着いている自信がある。

 

では「板前」で「ブロガー」という、自分だけのステージの中で周りを見てみるとどうだろうかと考えてみると、ぼくの周りにはほぼ誰もいない。

こうして「板前ブロガー」という自分のステージを作った。

 

ただ、「肩書き」も「会社」同様、なくても大丈夫な状態であるようにすることが目標なので、正直「板前ブロガー」という肩書きに固執するつもりはない。

 

こうして、肩書きを「使う」というスタンスでいられるのであれば、問題はないのだけど、そ「肩書き」がないと自信を持って名前を名乗れないとなると、それは固執でしかない。

 

その肩書きはいつまで自分についてくれているものなのかわからないのだから。

 

そういった意味も含めて、「自分」という看板を掲げて活動できるようになることは今後どんどんと不安定になっていく雇用の中で最も重要なものなのだと思う。

 

肩書きや会社とはいい距離感をしっかりと保って付き合っていくものであって、すがったり依存したりするものであってはいけない。

 

 

 

働く環境、身を置く世界は自分で選べる立場を手にいれる

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こうしてがむしゃらに1年ほど活動してきて見えてきたことは「働き方」はデザインできるということ。

 

会社からのお給料以外で、「自分の力でお金を稼ぐ」という力もある程度ついてきた。

今は、改めてもう一度、「会社で働く」ということにも挑戦したいと思っている。

個人で頂ける仕事と、企業でいただける仕事はやはり規模が違うからだ。

自分のスキルアップの為にも真剣に取り組みたい。だけど、社員として働くということにしっかりとメリットを見出せないのであれば、そのときはまたフリーの人間に戻る。

こうした「選択肢」を持つことができるようになっただけで、ずっとずっと「働く」ということを選ぶのが楽になった。

 

毎日のことだから当たり前に感じてしまうかもしれないけど、毎日「今日も仕事に行こう」と自分の1日をデザインしているのは紛れもなく自分だ。

 

もし、その毎日に何か違和感を感じている人、不満をこぼす日々になってしまっている人には働く環境、身を置く世界は自分で選べる立場を手にいれるということを意識してみてほしいと願う。

 

それはもちろん簡単なことではない。だけど、人生のほとんどの時間を費やす「仕事」というものを自分でデザインすることにはとても大きな意味があるのではないだろうか。

投稿者プロフィール

大堀 悟
大堀 悟
勤めていた都内の料亭を退職し、「店を持たない板前」として、オンライン料理サロンの和食担当講師、出張調理、イベント出店、飲食店代理店長として活動。飲食に携わる人間が「店を持つ」以外の目標を持っても活動できるということを体現する為に日々奮闘中!
ブログでは飲食に関わる人間の働き方に関することを、実体験ベースに綴っていきます。
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